倭の五王に関する一考察(その5)

その1 その2 その3 その4 その5 補足

前回かなり完成度が高いものが出てきました。

倍暦の終了年

しかしやはりおかしな点が出てきます。ここで倍暦についてもう一度考えてみます。継体天皇以降はほぼ史実とされていますのでこれ以降は一年の数え方も同じはずです。

つまりどこかで修正が行われていたことになります。そこで倭の五王で一番確実と言われている雄略天皇に注目します、そして雄略天皇の崩御年以降は暦年が変わらないのではないかと考えました。

すると雄略天皇の 16年西暦472年頃 15年の西暦471年から倍暦をやめたのではないかと考えられます。
2025/3/27
計算ミスってました正しくは471年でしたので修正します。
(471年が稲荷山古墳の鉄剣にかかれている十干に当たるので
書かれていることとなにか関係があるのかもしれません)

すると倭王名が書かれていない中国の記載も含め次の表が出来上がりました。

修正年表完全版

天皇名日本書紀の
在位年数
倍暦だった
場合の実年
即位の想定年崩御の想定年倭の五王中国史書の記録年
史書に倭王の名がない年は()内
(479除く)
(応神天皇40 4120391(411) 
仁徳天皇86 8743391(413)434(413)
讃421  425 (430)
履中天皇63434437 
反正天皇52.5438440珍 438
允恭天皇4221441462済 443 451(460)
安康天皇31.5462464興 462
雄略天皇237(+9)464479(477)
武478(479)
清寧天皇5 480484 
顕宗天皇3485487
仁賢天皇10488498
武烈天皇8498506
継体天皇(確定)25507531

これは、恐ろしくきれいです。特に珍、済、興は明らかに即位に伴い中国に使者を送っています。

次回はその他に関してです。

*2025/3/27 応神天皇と仁徳天皇の在位年は41年と87年みたいですね。単純に引き算していたので間違えました。

次回に続く

参考文献 

新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝: 中国正史日本伝 1 (岩波文庫 青 401-1)

世界古典文学全集 24B(三国志II) 筑摩書房

日本書紀上 講談社学術文庫

歴代天皇在位年 及び 好太王碑文 Wikipedia

タイトルとURLをコピーしました