前回は倍歴という考えでまとめてみましたがやはりおかしくなります。
応神天皇と仁徳天皇の関係による修正
そこでちょっと気になる説を思い出しました。
それは応神天皇と仁徳天皇が同一人物であるという説です。
これは同種の説話が見られることや応神天皇が若い頃、仁徳天皇が総年以降の記述が多いことから一人の人物を2つに分けたという説です。
百舌鳥古墳群に大型古墳が何基もあり、古代の天皇の比定がされていることから、多少比定についての組み合わせに議論はあるもののあまり信憑性を感じないのですが同一人物としてみます。
また先のように青年期と壮年期にそれぞれ記述が別れていることから86年の即位年を半分にしたものを391年を起点にしてみます。
修正年表(391年基準+神功皇后本紀の修正+倍暦+応神天皇・仁徳天皇)
天皇名 | 日本書紀の 在位年数 | 倍暦だった 場合の実年 | 即位の想定年 | 崩御の想定年 | 倭の五王中国史書の記録年 |
(応神天皇 | (40 41) | (20) | (391) | (411) | |
仁徳天皇 | 86 87 | 43 | 391(413) | 434 | 讃 421 425 |
履中天皇 | 6 | 3 | 434 | 437 | |
反正天皇 | 5 | 2.5 | 438 | 440 | 珍 438 |
允恭天皇 | 42 | 21 | 441 | 462 | 済 443 451 |
安康天皇 | 3 | 1.5 | 462 | 464 | 興 462 |
雄略天皇 | 23 | 11.5 | 464 | 475 | |
清寧天皇 | 5 | 2.5 | 476 | 479 | 武 478(479) |
顕宗天皇 | 3 | 1.5 | 480 | 481 | |
仁賢天皇 | 10 | 5 | 482 | 487 | |
武烈天皇 | 8 | 4 | 488 | 492 | |
継体天皇 | 25 | 507 | 531 |
この段階であれ?と感じます、各天皇に当てはまっているものの倭王武=雄略天皇というのはもっとも確実性が高いと言われており、その矛盾及び継体天皇と武烈天皇の間が空きすぎています。
次回はこのあたりがうまく当てはまるのか考えてみます。
*2025/3/27 応神天皇と仁徳天皇の在位年は41年と87年みたいですね。単純に引き算していたので間違えました。
参考文献
新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝: 中国正史日本伝 1 (岩波文庫 青 401-1)
世界古典文学全集 24B(三国志II) 筑摩書房
日本書紀上 講談社学術文庫
歴代天皇在位年 及び 好太王碑文 Wikipedia