前回見たように日本書紀の記述をそのまま当てはめてもうまくいきません。
そこで年代の修正を図っていくことにします。
391年を軸に考える
まず基準年ですが、高句麗の好太王碑(広開土王碑)の記述に「辛卯年」に「百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡[海]破百殘■■新羅以爲臣民」と倭国が朝鮮半島へ海をわたってやってきたという記述があります。
辛卯年については391年とされています。
さて、ここで日本書紀には応神天皇の生母である神功皇后が三韓征伐をしたという記述があります。
神功皇后本紀の修正
そこで神功皇后元年を391年としたいと思いますが、神功皇后は69年間称制を行い、その後応神天皇が即位したという記載となっています。しかし69年間を当てはめると明らかに複数の倭の5王の時代に入ってしまいます。
そこで日本書紀は編纂した時代すでに推古天皇、斉明天皇(皇極天皇)、持統天皇と行った女帝が記載されています。
また、応神天皇5代孫である継体天皇も天皇として記載されています。
神功皇后は開化天皇の男系4世孫であることから継体天皇よりは近しい存在です。また上記のように女帝も天皇としているにも関わらず、神功皇后は天皇とされていません。
そこで一般的には称制下とされていますが、幼帝である応神天皇にかわり、事実上の摂政として政治を行っていた。=応神天皇は神宮皇后元年である391年即位であったと考えてみます。
その場合は次のようになります。
修正年表(391年基準+神功皇后本紀の修正)
| 天皇名 | 日本書紀の 在位年数 | 即位の想定年 | 崩御の想定年 | 倭の五王 中国史書の記録年 |
| 応神天皇 | 40 41 | 391 | 431 | 讃 421 425 |
| 仁徳天皇 | 86 87 | 434 | 520 | 珍 438 済 443 451 興 462 武 478 (479) |
| 履中天皇 | 6 | 521 | 526 | |
| 反正天皇 | 5 | 527 | 531 | |
| 允恭天皇 | 42 | 533 | 574 | |
| 安康天皇 | 3 | 574 | 577 | |
| 雄略天皇 | 23 | 577 | 600 | |
| 清寧天皇 | 5 | 601 | 605 | |
| 顕宗天皇 | 3 | 606 | 608 | |
| 仁賢天皇 | 10 | 609 | 619 | |
| 武烈天皇 | 8 | 619 | 627 | |
| 継体天皇 | 25 | 507 | 524 | 完全に破綻 |
となり、倭の5王が一部の天皇に集中するだけでなく確実の在位とされている継体天皇の年代から見ても完全に破綻しています。
ということで天皇在位の年数について次に考えてみます。
*2025/3/27 応神天皇と仁徳天皇の在位年は41年と87年みたいですね。単純に引き算していたので間違えました。
参考文献
新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝: 中国正史日本伝 1 (岩波文庫 青 401-1)
世界古典文学全集 24B(三国志II) 筑摩書房
日本書紀上 講談社学術文庫
歴代天皇在位年 及び 好太王碑文 Wikipedia
