鎌倉幕府の成立:1192年説の根拠と12世紀末説への疑問

鎌倉幕府の成立はいつか? -「12世紀末説」の問題点を検証する

近年、高校の歴史教科書では鎌倉幕府の成立を「1192年」ではなく、「12世紀末」とする記述が一般的になっています。これは、1185年に守護・地頭が設置されたことで武家政権の基盤が確立したとする見方に基づいています。しかし、この「12世紀末成立説」は本当に妥当なのでしょうか?本記事では、歴史の成立基準を他国の事例とも比較しながら、鎌倉幕府の成立を改めて考えていきます。


1. 武家政権の確立

鎌倉幕府が成立する以前に、鎌倉において源頼朝をトップにした武家政権としての基盤が徐々に整えられていきました。その過程を見ていくと、頼朝がどのようにして武士による独自の統治機構を形成していったのかが明らかになります。

  • 1180年(侍所の設置):頼朝が伊豆で挙兵し、鎌倉に拠点を構えたのち、軍事・警察機関として侍所を設置。これは、武士を統率するための最初の組織的な枠組みとなる。
  • 1183年(東国支配の公認):寿永二年十月宣旨により、頼朝の東国支配が朝廷により正式に認められる。
  • 1184年(公文所・問注所の設置):政務を処理する公文所と、訴訟・裁判を担当する問注所を設置し、武家政権の機構を拡充。
  • 1185年(守護・地頭の設置):平氏滅亡後、全国に守護・地頭が設置され、頼朝が全国的な統治体制を確立。

このように、鎌倉幕府が「成立」する前の段階で、武家政権としての枠組みが整えられていったことがわかります。しかし、この時点ではまだ正式な幕府とは言えず、頼朝の支配はあくまで「武家政権の確立」に過ぎませんでした。


2.鎌倉幕府の成立

征夷大将軍とは何か?
源頼朝は1190年に「右近衛大将」に任官されましたが「大将軍」への人感を求め1192年に征夷大将軍に任官されました。
なぜ頼朝は「大将軍」への任官を望んだのでしょうか?
先に就任した右近衛大将というのは朝廷における武士の官位であり、朝廷の武士になります。一方、「大将軍」は、単なる武士のリーダーではなく、独自の幕営を設けることができる公的な地位でした。そのため、公的に認められる独自の政権基盤を持つためには必要な官職であったと言えます。

  • 大将軍は独自の幕営を設けることができるため、征夷大将軍に任じられることは、公的な独自の権力の地盤を確立することを意味する


また頼朝は征夷大将軍についた後に、さらなる官位についたということはないことから、政権基盤の確立には必要なものであることがわかります。

  • 1192年の征夷大将軍任命 は、それまでの軍事的支配とは異なり、「公的に承認された政権」としての地位を確立する決定的な瞬間
  • 室町幕府や江戸幕府と同様、征夷大将軍という職に就くことによって初めて「幕府の成立」と言える


この視点を踏まえると、「鎌倉幕府の成立」を1192年とすることがより合理的であると言えます。


3. 鎌倉幕府権力の段階的な発展

鎌倉幕府は13世紀に入ってからもさらに権力を拡大し、確立していく過程がありました。そのため、そのため「幕府の成立」の起点を政権が完成した時期に置くと、いつの時代が適切になるのかが、歴史の捉え方によって変わってきます。

  • 1221年の承久の乱:幕府が朝廷と武士の勢力争いに勝利し、朝廷の影響力を大きく制限。以降、幕府が全国統治の主導権を握る。
  • 1271年の異国警固番役の設置:元寇に備え、幕府が全国の武士層に対し直接的な軍事動員を行う体制を整備。これにより、従来の御家人層に限らない支配が強化(それまでは荘園などの武士は幕府の統制外)

このように、鎌倉幕府は成立後も政治的・軍事的に権力を強化し続けており、「幕府の成立」をどの時点に置くかは、どの要素を重視するかによって異なることが分かります。

4. 海外の事例で考える(秦帝国の成立を例に)

ここで世界史での扱いを見てみましょう。始皇帝で有名な秦帝国を例に上げると、単に軍事的支配が確立した時点ではなく、正式な国家体制が確立した時点をもって「成立」とみなすのが一般的です。

  • 孝公期の商鞅の変法(国内統治の確立)
  • 昭王期の長平の戦い(軍事的優位の確立)
  • 始皇帝の即位(前221年)による秦帝国の成立

5. 室町幕府・江戸幕府との整合性

他の幕府の成立を考えると、鎌倉幕府だけ「12世紀末成立」とするのは不自然です。

  • 室町幕府(1338年):足利尊氏が征夷大将軍に任命されて正式に幕府を開く
  • 江戸幕府(1603年):徳川家康が征夷大将軍に就任し、幕府を成立

このように、他の幕府では「征夷大将軍就任=幕府の成立」とされているのに、鎌倉幕府だけが例外的に「12世紀末説」を採用するのは不合理と言わざるを得ません。


6. 結論:鎌倉幕府の成立は1192年とすべき

歴史上、国家や政権の成立を考える際には、「軍事的支配の確立」と「制度的な承認」を区別することが不可欠です。
秦帝国の成立と同様に、「武力による支配の確立」と「国家としての成立」は異なります。そのため、鎌倉幕府の成立を「1192年」とするのが最も論理的であり、歴史の一貫性を保つ上でも重要であると思います。

・鎌倉の武家生成権の確立 
  1180年~1185年 鎌倉における統治機構の整備
・鎌倉幕府の成立
  1192年 征夷大将軍 任命による独自軍事権公認

皆さんはどのようにお考えでしょうか?よろしければご意見をコメントいただけると嬉しいです。

 

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